2020年1月14日火曜日

荻生田文科相の述懐;でももっと根は深いよ!

1月8日の朝日新聞の31面に、文科相が7日に行った文科省職員への年頭の挨拶の一部(と思われる)が紹介されていた。
大学入学共通テストで英語民間試験や国語・数学の記述式問題の導入が直前で頓挫したことにふれ、「これは無理だということがあれば、勇気を出して声を出していただければ、違う展開もあった」と、直言を促したという。
「政治は方向を決めるのが仕事。行政マンであるみなさんは、それを政策に制度設計し、組み立てていかなくてはならない」とした上で、「我々より現場を知っているのが皆さん。プロとしての意識を持って、我々に反論する、そういう勇気もしっかり持って頂きたい」と説いたとの事である。推進していた共通テストでの試みが頓挫してしまった事への八つ当たりなのか、謙虚な気持ちからの弁であったかは分からないが、文科相就任当初からの自分の稚拙な発言に対する反省の弁もあったとのこと、後者であることを期待したい。
話はここで終わらない。文科相が本心から「我々より現場を知っているのが皆さん。プロとしての意識を持って」と言ったとして、文科省の役人の皆さんが本当に現場を知っているのであろうか?心配になることが多い。役人は制度設計を担い、それを法律案として立法府に戻していくのであろうが、もしその案が成立して、どれだけ実効を上げることが出来るか考えているであろうか?現場がそれに耐える状態にあると考えているのであろうか?
私は小学校に外部からかかわっているのだが、小学校にしたって大変である。基礎の基礎はきちんとやらねばならないが、最近は社会情勢の変化に伴って、教えることが増えている。英語、IT・・・。教員には教科書をあてがって、この内容を伝えるだけで良いと云うのではまさかあるまい。教育とはそんなものではない。教員は子どもに潜在する能力を引き出しつつ考えをまとめさせてこそであって、そこには子どもの好奇心に火を灯すような指導が望まれる。教員は教えることの周辺に関する教養を深めて対応する必要がある。例えば子供が進むであろう上級学校で学ぶことも頭に置いて導くことが望まれる。負担が過重になるのは目に見えている。それなのに教科を増やしてうまくいくという検証をしているのであろうか?そのうえに、教員の数を減らそうという動きがあるとのことである。教育現場の疲弊は目を覆いたくなること必定である。
法律案は、こうあれかしと願って、作っているのであろう。決していい加減に作っていると云う積りで言っているのではない。でも、法律を「仏」に譬えるなら「魂入れず」の事が多すぎる。是非現場をよく見て、現場の抱えている問題をしっかり捉えて考えてほしいと思う。実効性を上げるには、本省に勤める人も必ず学校現場で教師を複数年経験することにしてはどうだろうか。

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