2014年8月8日金曜日

河野官房長官談話の検証と結果公表の意味

1993年8月4日に発表された河野官房長官談話とは、いわゆる従軍慰安婦についての政府の公式発言で、端的に纏めるなら、その募集、移送、管理などが甘言、強圧など、総じて本人たちの意思に反して行われたことを認めて、お詫びと反省の意を表したものでした。これは時の政府が外に向かって公言したことです。
安倍政権がこれを検証すると言った時、どうゆうことなのだろうと思いました。日本国政府が前に言ったことはあやふやだから調べ直すと公言したも同然のことです。そして、検証の結果、官憲による強制連行を裏付ける証拠は見つからなかったと言ったわけです。私はここで二つ問題を感じます。

1)政府は検証結果にも関わらず、河野談話の見直しをするとは言いませんでした。寧ろ外に向かっては河野談話を維持すると言いました。つまり今更見直しなどとても出来ないことは予め分っていたのです。じゃなぜこんなことを公言したのでしょう。
キャロル・グラック女史の去年の発言を思い出します。「安倍首相を含む自民党の右派政治家たちは長い間、戦後問題やナショナリズムに関わることを国内政治扱いにしてきました。加害責任を否定することで、国内の支持を得ようとしてきた。彼らはまるで、自分達の話す日本語は海外では全く理解されないと思っているようです。実際はソウルや北京やワシントンに直ぐに流れるというのに。これは一種の『地政学的無神経』です」。案の定、駐韓日本国大使は韓国外交省の第一次官から「日本政府の信頼性と国際的評判が傷つくことになる」と釘を刺されたようです(朝日新聞8月6日、第16面河野談話検証の項)。
長期政権を目論む安倍さんは、外交を犠牲にしても、検証結果を公表し、人気を得たかったのでしょうか?
((ちょっと疲れましたね、花を))
2)官憲による強制連行を裏付ける証拠は見つからなかったと言って、いったいどれほどの意味があるのでしょうか?第二の疑問です。河野談話を発表した時には十分な検証が足りなかった、もっとちゃんと調べるべきだったと批判して今後の糧にする意味はあるでしょう。
しかし官憲による強制連行を裏付ける証拠は見つからなかったと言うことによって、日本に責任がないとする勢力があります。実に見苦しい言い逃れです。当時は朝鮮半島は日本の統治下にありました。つまり戦争をしながら蹂躙したのとは違うわけで、軍の意を受けた現地の業者が主に手を下していることは想像に難くありません。それで日本に責任ないと言えるでしょうか?人権を蹂躙したことに変わりは無いように思います。小熊英二氏が「原発事故は電力会社が起こしたことだから政府は責任ない」とか「(政治家の事件で)秘書がやったことだから私は知らない」と云う見苦しい言い訳と同等(朝日新聞8月6日17面)と見ることに全く同感です。
同じ紙面に、キャロル・グラック女史が再び投稿していて、「強制連行を裏付ける証拠は見つかってない」などという発言を繰り返すと、世界中の反感を引き起こすことになる。米国で慰安婦の碑や像が増えつつあるのはその一例だ。と結んでいます。

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