2014年5月31日土曜日

美輪明宏さん

我が家のベランダのアボカド君、主幹は伸びなかったが、下から枝が出て来た。
本日の朝日新聞第13面オピニオン欄に、美輪さんの現代世相批判が載っていた。わが歌のお師匠さんが美輪さんの演奏を聴きに行って感激したと言ってたのを思い出しながら、わが意を得るような意見が出てたので紹介してみる気になった。
私日頃から便利は不便を生むと言ってるのだが、美輪さんも同様なことを言っている。 曰く「この世の中は『正負の法則』で支配されています。陰と陽。吉と凶。何かを得れば必ず何かを失う。」という書き出しから始まるのだが、必ず失うかどうかは吟味が必要とは思うが、言えてることは多い。
ディジタル機器を通して、情報をつかむことにより、利便性、経済性を獲得しても、それに強く縛られて自ら考える機会を失ってはまずいことになるし、あまりに没入して精神を損なってはもともこもない。電車の中でスマホを覗いている人をたくさん見かけるが、美輪さんじゃなくったって、本当に異様だと思う。昔は分厚い本を抱えて読んでいる人をよく見かけたものだが、最近はトンと見かけなくなった。彼の文中に、美の重要性、心の栄養剤、が語られていた。また遊び心も。
彼が次のようなことを言うのだが、これ本当でしょうか?「日本人男性は、世界でも珍しいほど、美術や音楽、演劇など『文化』に触れません。戦後、経済成長一本やりで、効率だけを追求し、文化は無駄なものとかんがえてきたからでしょうか。」彼の発言に抜けていることは、「自然」と対峙することだろう。これも心のビタミンとして大事なこと。だが、彼が言うほど本当に一般的な傾向なのだろうか?本当だとしたら寂しいことだ。いや一部にはそんな現象が見られても、本当はそうではないと思いたい。
だけど、戦後の荒廃からすごい努力によってもたらされた経済的な繁栄を通して、今のような技術水準の高い状態に日本は達したのだが、その結果が、電車の中のあの異様な光景に象徴されるとしたら、何ともやりきれないなーと思う。技術の問題ではなく、使う人間の意志力の問題だと思うのだが。情報、知識を便利に獲得しても、それは考える材料になり得ても、考える、或は考え出そうとする意欲、湧き出させる力にはなりえない。

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