2016年2月29日月曜日

オペラde歌声喫茶

2月28日に鶴見のサルビアホール(約500人収容)で「オペラde歌声喫茶」という催しがありました。主要出演者はいずれも鶴見在住の演奏家でロベルト・ディ・カンディド(Robert di Candido ブラジル出身、イタリアで学んだ藤原歌劇団トップテノール、ドラマティックな役どころ向きです。日本語堪能)、ヴィタリ・ユシゥマノフ(Vitaly Yushmanov ロシア出身、ドイツで学んだ新進気鋭のバリトン、もちろん日本語堪能)、田中雅子(ソプラノ、私の先生)、木村舞美子(ピアニスト、ベルリンフィルとの共演など)凄いメンバーでした。出来るだけ多くの人にオペラに親しんでもらいたいと、鶴見区の企画委員会が鶴見に住む素晴らしい演奏家に働きかけて出来た演奏会、この豪華な出演者で1300円、(私は1000円の割引券を購入)主催者も驚く完売満席でした。
さて、プログラムは前半、ソリストの歌で、先ず田中さんのソプラノ独唱;イタリア歌曲”くちづけ”、”私が街を歩く時”(オペラ;ラ・ボエーム)、”私の愛しいお父さん”(オペラ;ジャンニ・スキッキ)と続く。田中先生の思いが伝わるほどの素晴らしい歌唱だった。(写真はクリックすると大きくなります。)
次はオペラ;アンドレア・シェニエの中でかたき役のバリトンの歌”国を裏切る者”。久しぶりに聞くこの素晴らしい曲、優しい顔のヴィタリさんがとっても憎々しげに歌っていました。次は”誰も寝てはならぬ”。荒川選手がトリノオリンピック、フィギュアスケートで金メダルを取った時の曲。ロベルトさんが真っ赤な顔をして(誰かがゆでだこみたいな顔なんて形容していたが)すごい迫力で歌いあげた。両方とも素晴らしい。その後、ヴィタリさん”私の最後の日”(オペラ;ドン・カルロ)、ロベルトさん”星は光ぬ”(オペラ;トスカ)、ヴィタリさん”ドンファンのセレナード”、ロベルトさん”オー・ソレ・ミオ”そして、ヴィタリさん&ロベルトさんの二重唱”我らの胸に友情と希望を”(オペラ;ドン・カルロ)と続いた。数千円出してもいいような演奏会。
後半が歌声喫茶のような形式。会場に飲み物を持ち込めないが、ホワイエには飲み物が用意されている。まず会場から二人の方が舞台に上がって、女性の方が”この道”、男性が”花”を歌ってワンポイント・レッスン。女性の方は田中さんが、男性の方はヴィタリさんが夫々ワン・ポイント・アドバイスをされ、その後、会場の方も一緒に歌った。
次はロベルトさん中心に会場から何人か壇上に上がってサンタ・ルチアを歌う。そして、田中さんがヴィリアの歌(オペレッタ;メリー・ウィドウ)これには鶴見市内の合唱団中心に構成された特設合唱団がバックコーラスとして参加。私も田中先生の依頼があって参加した。そして、コーラスと会場の皆さんも一緒にオペラ;アイーダの凱旋行進曲中トランペットが吹くメロディー(サッカー応援歌で有名)に歌詞をつけたものを歌った。これで終わりなのだが、アンコールにオペラ;椿姫の中の乾杯の歌をソリストが歌って、その中の合唱部分を合唱団、会場の人々で歌ってお開きとなった。
初めての試みだろうと思うが、大成功。またこんな機会が期待できそう。

理科実験支援活動、濃密な旬間終了

2月19日から2月29日までの11日間に3小学校に夫々2回出前授業をするという濃密な旬間でした。
19日(金);小山小6年生に木炭電池(朝から夕方まで)3クラス、
22(月),23(火)谷口台小5年生にモーターを作って回転の原理を考える(午前中各2クラス)。
25(木)小山小5年生に同じくモーターの授業(朝から夕方まで3クラス)。
26(金)、29(月)は清新小5年生にモーターの授業(午前中各2クラス)。
この時期にモーターの授業が集中したのは、5年生が電磁石について学ぶのが3学期の終わりころだからという事でした。
更に、26日と29日は両日とも授業終了後、授業を実施したクラスの子ども達と一緒に給食をいただくという機会がありました。 学校の先生方の温かいご配慮に感謝感謝です。参加した会員一同、孫或は孫より若い子ども達と楽しく話しながらの一時でした。 給食の内容もとても美味しく、脱脂粉乳とコッペパンだけだった子供のころの給食とは比べようがないなんて話したら、いや自分が子供のころは給食なんてなかったという同じ年の会員もいて、当時の大変さを思い出しました。

さて、今期はあと一回、3月8日に藤野北小で4年生(ヘロンの噴水;7名)、5年生(モーター;6名)、6年生(ビタミンC濃度の滴定実験;8名)があり、これですべて終了となります。

多分、ピンピンころりへの一つの道

肉体はボロボロになっても、心だけは出来るだけ青年のようでありたい。是は是、非は非とはっきり言い、霞を食ってる生きていると言われようとも、自分がやらねばと思ったことはやる。出来るだけそうありたいと思う。
もう、人生のエネルギーに満ちた時は終わった。その間に、時には社会的な制約から、言いたいと思ったことが言えなかったときもあった。もう何も恐れるものはないではないか、
多分、ピンピンころりへの一つの道ではないだろうか。

2016年2月23日火曜日

日伊国交樹立150周年記念 特別展 レオナルド・ダ・ヴィンチー天才の挑戦

江戸東京博物館で表記の展示会をしている。2月17日シニアデイとかで、入場無料、勇んで出かけた。お昼ご飯時に着いたので、博物館上階のレストランで昼食。曇天だったが、大山が見えていた。
レオナルド・ダ・ヴィンチと弟子たちの絵画が中心で、レオナルドの糸巻きの聖母が本邦初公開という事だったが、もっとほかの物に惹きつけられた。人体解剖による人の内部組織の図、人物を描くためにそこまで研究した、その精神に驚いた。半端でない溢れるばかりの探求心が伝わる。飛翔体に関する研究のノート(読めないが)、建造物など見ていると、時代的には早すぎる出生ではないかと思うほど現代的だ。以前に日比谷公園の特設展で、レオナルド・ダ・ヴィンチの工作物のミニチュアを見たことがあり、歯車の発想などに驚かされた。
今回はそのような動くものの展示はなかったが、トルコの皇帝の求めに応じて、ボスプラス海峡に橋を架ける事を考えた。アーチ形の橋の骨組みの考察、その発想に基づくスッキリした出来上がり模型。すごく現代的だった。左は紹介してあった、最も簡単な骨組みの写真。
そこで、チョット真似してみたくなり、竹串を一杯持ち出してH型の木組みをたくさん作って、橋を作ってみた。
基本的にはH型の木組みを右上のように組んでいけばいいようで、
2個の組と3個の組
 
4個の組と5個の組
 
6個の組と7個の組
 
とこんな風にどんどん増やして行けて、アーチ形の橋が出来上がる。組んだあと接合部をきちんと留めれば、案外丈夫で、しっかりした橋になる。彼が今に生きていたら何をやるのだろうか。感動の一時だった。

2016年2月21日日曜日

蟻社会の研究が進んだのですね。(蟻から学ぼう)

20年前にこんな新聞記事を読みました。強い印象とを伴って覚えています。「優秀な働き蟻の集団の中に、何処をほっつき歩いているかわからないような、役立たずに見える蟻が少しいる蟻社会の方が、優秀な働き蟻だけの社会より栄える」というコンピュータシミュレーションの結果に基づいて、北大農学部の研究室で実際に蟻の社会の研究を始めるというものでした。
つまり、優秀な働き蟻の集団は何処かにエサ場を見つけると、皆列をなしてその場所に通い、どんどんエサを集めてくる。でも集めつくすと、次のエサ場を探すのに苦労する。だけど、何処をほっつき歩いてるかわからないような、あまり優秀そうには見えない蟻がほっつき歩いてる間に、別のエサ場に行きあたり、後は、優秀な働き蟻が収穫する。その結果後者が栄えるという内容であったと思います。
最近メディアで北大農学部での蟻の研究結果が取り上げられていましたね。いろんな試行錯誤があったと思います。最終的には、数個の異なるグループに属す約1200匹の蟻に識別のための異なるマークを付けて行動を調べたのでした。1200匹に異なるマークをつけるって簡単に言っていたが、大変な事でしょうね。大変な研究であったろう事は想像に難くありません。それはさておき、その結論は上記の仮説とは違い、 蟻の社会は必ず約20%の働かない蟻を作り、働かないアリたちは、くたびれて休みたくなった蟻の交代要員として待機しているのだそうで、蟻は実に賢いなーと思いました。グループの中から、待機組を取り除くと、自然に新たに待機組が出来るというのですから、素晴らしい。
あまりの忙しさにつぶれたり、歪んでしまった人々の話を聞くにつけ、人間社会、蟻から学んで、もう少し利口にならないといけませんね。ようやく実を結んだかに見える研究、是非人間社会にも生かしたいものです。

2016年2月15日月曜日

単なるおバカさんとも思えないが

高市総務相が政治的中立性が無いと判断した放送局には電波差し止めをする可能性があると、国会の場で総務相として発言した。
何と申しましょうか、浅はかだなと思います。自らが政党に属し、しかも行政にも関わっている身で、つまり政治的存在にもかかわらず、 どうして、政治的中立性の有無を判断出来ると云うのでしょう?それとも、彼女は何でも判断できる、神みたいな存在になったとでも思っているのでしょうか?
前職は 近畿大学経済学部教授。そこまで思いあがるほど、知性が欠如しているとも、はたまた、自分の立場で言ってしまったことの意味も分からない、単なるおバカさんとも思えない。
本音は報道機関が自分たちに反する意見を述べる、或は批判を浴びせる事にたいして、牽制球を投げたという事なのでしょうけど、どうして今の政権はこうも、スケールの大きさを感じさせない、小さい、ちじこまった事をやったり言ったりするのでしょう? 権力を笠に着てこういうことを言うのは本当に醜い姿で、「施政に都合の悪いことを言うと、放送禁止にするぞ」というのは すぐお隣の、北朝鮮のやっていることと同じではないでしょうか? 少なくとも、政治的に中立かどうかを政治家が判断するのは不適切、更に行政が委員会を作ってそれを判断するのも、行政そのものが政治的存在なのだから、不適切でしょう。報道機関が広い見地から委員会を作って、互いにどう見ても行きすぎと思えるような報道をしないよう気をつけましようというなら、分るような気がします。
内閣とはミニスター、まあミニなんだけど、とにかく今の政権のミニさかげんにはツクヅクうんざりします。お友達内閣と揶揄されるているが、本当のお友達なら、是々非々をきちんと貫ける人がいていいのに、そういうだいじなお友達もいないようです。もっと前の世代の自民党政権でもいろいろあったけど、でももう少し余裕があったというか、スケール感はあったように思います。私が学生の時の首相、岸信介氏だって安保条約の批判の嵐の中でも声なき声を信じると言って頑張っちゃったが、報道規制のことは一言も述べなかったと記憶しています。それとも家ではお孫ちゃん(今の安倍首相)に報道規制の必要性をすり込んだのでしょうか?

p.s.
思い出すことですが、中曽根政権の時の首相と後藤田さんの関係。中曽根さんは自分にかけたタズナをグッと引き締めることが出来る人として、自分の派閥に属さない後藤田さんを礼を尽くして官房長官として迎え入れました。 素晴らしい信頼関係に結ばれた関係でした。そして実際、後藤田さんは中曽根さんが海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣しようとした時、「それをなさるなら、私は閣議でサインしない。」と反対し、中曽根さんは顔を真っ赤にして、でも後藤田さんを受け入れて、思いとどまったとのこと。 首相だって一人の人間、偏ったことをすることはあり得ます、首相に対して、是々非々で臨める人がいないと危ういですね。

2016年2月6日土曜日

霞がかったダイアモンド蛭が岳

Yさんがダイアモンド大山を狙ってると言う。我家近くだと位置的にそれは無理だから、ダイヤモンド蛭が岳を狙おうと思った。
1月26日、ある会合の帰り夕暮れ時だったので、丹沢山系がきれいに見える横山公園に寄ってみた。まだ、蛭が岳に陽が落ちるのは早く、陽はかなり南の丹沢山のほんのチョット北側に没した。右の写真。雲が薄く陽が没するまでを見張るのはちょっと目が辛く、サングラスを持ってくりゃよかったなんて。
その後、あんまり意識してなかったのだが、昨日ひがな家に閉じ籠っていて、午後ごそごそと工具箱を取り出して何やらやって一頻りついて家の中をぶらぶらしだしたら、何かに集中して机に向かってる女房殿に、気が散っていけないから、散歩に行きなさいと追い出され、夕方だったので、パッとカメラを持って飛び出した。
持って出たカメラは1月26日のとは違う古い方の奴だったが、まあいいやと横山公園へ。1月26日より、雲が多いけど、もしかしたら陽の位置から判断して、ダイヤモンド蛭が岳が見えそうな感じ。横山公園の野球場外野席裏側のあたりで待ち構えてると、ほぼダイヤモンド蛭が岳と言って良い位置に陽は落ちた。雲がちょっと多くって霞がかってるけど。昔の人はこうやって日没を見ながら、西方浄土を思ったのでしょう。この写真は夕陽モードで撮影している。
日が没してから上溝駅の方にちょっと歩いて、丹沢山系全体を見渡せるところから、夕闇せまる丹沢の遠望を撮った。
写真はどれも、クリックすると大きくなる。