2009年9月13日日曜日

引き出物

姪の結婚式の後にいただいてきた引き出物を、アイデアだな~と思いますので紹介します。
左の瓶づめがそうで、中身は杏子のマーマレード。ただの杏子のマーマレードではなく、新郎のお母さんがバッハウ産の杏子を使って作ったマーマレードです。ラベルにはそのお母さんが描いた花の絵、そして、新婦・新郎の名前、次に杏子のマーマレードであることが書いてあり、下に産地バッハウが表記されてます。上に巻いたきれはしとリボンは新婦が準備したものでした。
心温まるおもてなしの一つのような気がしました。まろやかないい味でした。

左の札は披露宴に置いてあった、席の札で、ここにも新郎のお母さんの絵がそえてありました。新しい家庭のありようが垣間見えるようで、嬉しくいただいてきました。

2009年9月9日水曜日

Jungfraujoch

Kleine Scheideggで1時間ぐらいぶらぶら(左、そこからのアイガー北壁の眺め)しながら高地ならしをしました。実はこの地点はあまり高いとは言えないので、暗示作戦。
Jungfrauです。ヨーロッパで一番高い山。Kleine ScheideggからJungfraujochへ別の登山電車に乗ります。よくぞ開けたな~と云うトンネルの中を電車は力強く登りました。

Jungfraujochは次の写真のMönchとJungfrauの中間にある肩の部分にあたりますが、そこからのAletsch氷河の眺め。荘大です
Jungfrauの隣の山Mönch
1時間半いただけで下へ降りました。その辺がいいとこと云う判断です。Kleine Scheideggまで降りて来たら、今度はマラソンのゴール風景が待ち構えていました。Interlarkenから片道でこの地点までひたすら登る42.195km。かなり過酷なレースです。背の高いヨーロッパ人らしい人が記念写真を撮ってたので聞いたら5時間ちょっとかかったとか。日本人も可成り参加してたようです。2,3の人と挨拶しました。Kleine Scheideggから一緒になったドイツ人は途中で棄権したとかで、かなり具合が悪そう。電車はゆっくり走る。本人は具合悪さをこらえている様子。タクシーで病院に行くと言って、グリンデルワルドの一駅手前で電車を降りて行きました。
最後に夕方宿のベランダからアイガーの横に見た夕日に輝く雪山です。

翌朝7時49分グリンデルワルド発の電車に乗り、InterlarkenとBernで列車を乗り換えて、チューリッヒ空港へ10時50分に到着。13時発の飛行機で帰途につきました。

旅の最初は親族のめでたい結婚式に出席、あとはふらりと出た旅の体でした。最初はマッターホルンだけで帰ろうという計画だったのですが、計画の段階でJungfraujochまで延ばすことにしました。せっかくスイスまで行くんだから、と云う意味のほか、実は我々にとって身近な者の足跡をたどる旅路の一部でもありました。

2009年9月8日火曜日

ベルン&グリンデルワルド

9月4日マッターホルンをもう一度見たいと思いましたが、早めに汽車に乗りました。予定をちょっと変えてスイスの首都ベルンを見たいという気が起こったのでした。車中で4人で向かい合う席に私たちと25,6歳の眼のくりくりっとした可愛いドイツ女性と席が一緒になりました。さて何を話そうかと考えてるうちに、連れ合い殿が口火を切りました。彼女は自分の英語力なんか全く気にしない。聞きたければ何とかして聞きたい、話したければ何とかして話したい人で、これが彼の人の特質と認めてるのですが、今回もヒエーと云いたくなるような英語で何とか相手を巻きこんでました。
ドイツ人女性はチューリッヒ空港からベルリンに帰るとか。仕事をしてるようですが、1週間休暇をとってツエルマット周辺を歩いてたとのことです。ゆったりした余裕を感じましたネ。途中ベルンを経由してチューリッヒの方へ向かう列車に乗り換えたのですが、われわれは荷物が多かったので列車の1階にいて連れ合い殿を座らせて私が立っていたら、2階に行った彼のドイツ女性わざわざ2階が空いてるよと、呼びに来て、荷物を運び上げてくれる親切。又しばらく3人で話していました。ベルンでそのまま汽車旅行を続ける彼女と別れましたが、わざわざ1階まで下りて来ようと云う彼女を制してその場で別れました。なんだかやさしい日本女性を見てるようなウエットさに驚きを感じました。
左はベルンの旧市街の中央通り、石畳の道にトロリーバスが走ってます。向かいは時計塔。雨が降ったりやんだりでした。その中央通りにアインシュタインが住んだ家が博物館のような感じで、保存されてました。アインシュタインは実力がなかなか認められず、この街にあった特許局で働いていたのでした。

特許局の仕事は氏の力からすれば、退屈なものであったに違いありませんが、家庭を守るため働き、右上の写真に見える部屋で、特殊相対論を作り上げたのでした。窓の下からは市街のざわめきがきこえたでしょう。いろんな資料が簡単に手に入る研究室でもありません。議論をする相手もなかったでしょう。こんな環境下であの理論を作ったのかと思うと、ここが聖地のように思えて、なんとも立ち去り難い感動を覚え、しばしたたずみました。
ベルンの駅で、サンドイッチと飲み物を買って立食。うんとケチケチ旅行です。それから汽車に乗って雨模様のグリンデルワルドへ。宿のベランダの目の前にアイガー北壁がそびえていて、何とラッキーなこと。
翌朝は打って変わって晴れてきました。朝の内の雲間のアイガー
Grindelwaldから見た雲の上のJungfrauです。
Jungfrau jochへの登山電車の中継駅Kleine Scheideggからの眺めを。アイガー北壁と、アイガー氷河が見えてます。

写真はクリックすると大きくなります。

2009年9月5日土曜日

ツェルマットにて

31日夕刻にウイーンに戻り、一泊。翌、空路チューリッヒに戻りそこに一泊しました。チュウリッヒでは、夕食後に中央駅を通ったら、その広場で懐かしいバンドの演奏が行われていました。ABBA 99 revivalband.我々もしばしの間、聞いていましたが、ヨーロッパでは根強い人気があるようですね。



翌朝、チューリッヒからツェルマットへ。途中から氷河急行に乗り換えました。日本にも昔上越線んで見かけた、アブト式のレールウェイを運行する様なところもありました。車窓からの眺め。



ツェルマットには夕方着きました。翌日は登山電車で3089m地点Gornergratまで登りました。先ずはマッターホルンです。雲がかかっていてなかなか姿を現しません。私たちは高山病が気がかりだったのですが、やはりかかったようで、時々頭がフラッときたり、おならを連発したり、食欲がなかったり。しかし沢山の氷河や氷の荒々しい景色に、普段見ない迫力を感じた次第。その様子をアップします。お疲れヨーゼフたち、そして山隗と氷河の迫力。



ここに2時間いたのですが、連れ合い殿がはすっかり調子を悪くしてしまったので、一旦下に降り、軽く昼食をとって、今度は2288mぐらいにある別のポイントSunnegga paradiseに出かけました。ここはマッターホルンの展望台。しかし頭隠して・・・・です。夕方近く諦めて帰ろうかと思ったころ。少し隠れてますが、ほぼ姿を見せてくれました。





このあと、グリンデルワルドに寄ってアイガー、ユングフラウヨッフォを眺めて帰ります。

2009年9月4日金曜日

バッハウ渓谷とバイセンキルヘン

ポスト結婚式の行事とて、新郎の両親が住むバイセンキルヘンに招待されて、伺いました。この地はドナウ川の最も美しい地域と言われるバッハウ渓谷の中ほどにあります。
ウイーンから汽車でクレムスまで行き、そこで大修道院を見学。補修されたものですが、なかなか立派でした。おカネを出すと修道士が展示物の説明をしてくれるのですが、われわれは自分で読んで、分からないと、仲間に説明してもらって、なんとか済ませました。

クレムスからドュルシュタインまでドナウ川下りです。水量は豊富で、緩やかな谷間の流れに船は身を任せるようなゆったりした運航でした。
その夜は新郎の両親宅で、ささやかな宴。ワインテーストのあといろんな話をし、私は持参した自作の笛で越天楽(新番)を吹きました。お祝いのつもりで。まあまあの出来でした。

ウイーンはこれで3度目ですが、いつも思うことは、ドナウ川の流れが濁っていて、どうして「美しき青きドナウ」なのかと疑問を持ち、また今回の川下りでも、周りの景観は素晴らしいのですが、川面に関しては以前と同じ印象を持ちました。














しかし、翌朝、渓谷の丘の上から見下ろしたドナウの川面は違って見えました。もちろん空が晴れていたからですが、まさに「美しき青きドナウ」でした。見るところから見ればそうなのだな~と思ったことでした。
午後はホイリゲに呼んでもらい、ワインで軽い夕食を共にし(私たち夫婦はイノシシニクのパテとソーセージ)、途中で大変申し訳なかったのですが辞去して、一足早くウイーンに戻りました。

近くのバス停まで二人の姪たちが”笛のおじさん”と”着物のおばさん”を送ってくれました。これからずーっとヨーロッパに住む姪たちが強く生きて行ってくれるよう願いながら手を振りあいました。