2017年1月4日水曜日

作品

正月に久しぶりに弟と、好きだがあまり沢山は飲めない酒を口にしながら、いろんなことを話していた。フト話題にしてみたいと思っていたことをぶつけてみた。「本格的な物、本格的な事」についてだった。私たちが子供のころは歌謡曲だって、歌手の鍛えた声に聞きほれたものだけど、近頃はそのような本格的な歌がだんだん廃れ、例えば、まるで地声としか思えないような声の歌や、たまには調子が外れたって平気と言いたいような声がメディアに流れる。これ何なのだろうと。このような現象は歌だけではないように感じているが、歌は顕著に見えやすい。

「人々が作品を必要としなくなったのではないか」というのが彼の答え。心血を注ぐ、命を削って作った作品を必要としない、対峙する必要を感じない。というのである。そうなのかもしれない。
だけど有名美術館の引っ越し展示とか有名な画家の展覧会など決して人が少ないことはなく、昔の様に十重二十重の行列ができるわけではないが、会場は混んでいる。心配するほどでもないかと思わないではない。だけど、そうなると頭にもたげてくるのは、有名とは何か?ということ。有名ではないが、本格的な素晴らしい作品に人々が群がるようなら本物だけど。 有名な作品に群がるのは何に寄るのか?
本格的なるもの、重要な課題。

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