2014年8月23日土曜日
愛する国、日本へ
私は、我が郷土、日本が好きです。当然、自分の心にすんなりと受け入れられる国です。
他国から理不尽なことを言ったり、されたりすることは好みません。
だからこそ、日本が他国に理不尽なことをしたり、言ったりするのは、なおの事嫌います。
しかし人間悲しいかな、理不尽なことを言われたり、されたりすると、なにお! と思ってしまいがちです。
他国に理不尽なことを言ったり、されたりすることのないよう努める必要があると思います。
例えば、一つの譬えですが、殴られないような備えも必要、だけど相手が殴ろうという気にならないような
努力をしないといけないと思います。それは、政治だけでなく、我々国民それぞれも、いつも心せねばならないことだと思います。
首相の内向き発言のみが目立つ今の政治にはうんざりします。おおよそ。子ども同士が喧嘩して、互いに怪我をして、双方の親が出なければならなくなった時、親というのは表では相手の子どもの傷を気遣い、必要な処置をして、家に帰ってから、自分の子どもの言い分を聞き、事の理非を説くものではないでしょうか?
首相というものはいくら内向きに語っても、その声は何処にでも聞こえてしまいます。首相たるもの国を代表して国の運営に任っているのですから、内向きに語るとしても、同時に外に対する気遣い、配慮をお願いしたいものです。何時でもオープンだと言っても気遣いがなければ、日本が外から特別に好かれていない限り、閉じているのと同じでしょう。
戦前、日本は朝鮮半島を併合、統治していました。また満州では傀儡政権を作って思うように統治していました。その間、善政を布いて、当地の人々を古い体勢から解放すると云った良い面もあり、当地の人達のなかには日本に慣れ親しむ人達もいました。しかし、当然のことですが、それを屈辱と感じ、独立運動、抗日運動に身をささげた人たちもいました。戦後、日本がいなくなってからの当地は、酷い混沌、互いを責め合うようなこともあったはずです。これを克服して、国をまとめていくために、選ばれたのが激しい反日、日本排撃の教育でした。
そういう教育を受けた人々の多くが今、彼らの国の運営に任っているのではないでしょうか。そんな不幸な事情を深く思います、そして教育の大事さを深く思います。
なされた教育が偏っている、中身がおかしいと言っても、他国の事、我々は口を出せません。もし仮にそれが善政を布く時期があったとしても、他国を併合するということはしてはならないこと。日本が他国を統治してしまったという、不幸な歴史を客観的に見つめ、じっと真摯に対応し、雪が解けるような努力をする必要があると思います。こういうことが出来れば、それこそ「美しい日本」ではないでしょうか?
イソップの寓話「北風と太陽」は生きた教訓だと思います。
昨日、父母の兄弟姉妹とそれぞれの連れ合いの世代のうち、ただひとりだけが残る状態となり、私の世代が最年長者の状態にぐっと近づいてしまいました。その中でも最も歳をとった方の部類にいる自分を強く意識しました。言うべきことを言う時間もそんなに長くないことを意識します。
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