2013年4月5日金曜日

思い出の超名人遊撃手、木塚忠助

久しぶりに長嶋茂雄氏に光があたった。何という、人気の長もちがする人であることか!!私が彼について思い出すのは、彼は覚えているかどうか、彼が学生時代のことである。東京六大学リーグでの立教大学全盛のときで、氏は当然不動の四番だった。
当時の社会人ノンプロの選抜チームがアメリカに遠征する際の壮行試合が行われた。相手は最強大学チームの立教。確か長嶋は打席に立つ度に強打を放った。そして最後の打席には、相手のピッチャーは打つ手なしとばかり、山なりの超スローボールを投げた。長嶋は心に余裕があったのでしょう、じーっと引き付けてホームランにしてしまった。確か狭くする前の、広い神宮球場だった様な気がする(或いは、やはり広かった駒沢球場だったか?)。ピッチャーの苦笑いと共に変に忘れないシーンだ。

プロに入ってからも、私が言うまでもなくすごい人気だった。でも、野手として、しかも3塁手として見たとき、野手部門のどれを見ても、トップクラスとは言えも、決して突出した記録を残しているわけじゃない。なのにすごい人気は何なのだろう。私が思うに、彼は天性のショーマンだということだろうか。悪く言っているつもりはない。プロスポーツにおいて、ショーマンシップはすごく大切な側面だと思う。展覧試合でのサヨナラホームランも強烈な思い出だが、もっと普段のことで、何でもないゴロを、さも難ゴロを華麗に捌いたかのよにして見せるのを何度か見た。これもプロの技なのかもしれない。

上のようなことをを思ったとき、実はそれとは正反対の人を思い出して、書き出した次第である。その人の名は木塚忠助。野村克也氏が彼が見た範囲で遊撃手として木塚の右に出るものはいないと言うほどの人である。捕手として、監督として見た範囲でのことだからかなり確かと思う。

私が子供時代は言うまでもなく周りは巨人贔屓ばかりだったが、天邪鬼の私はパシフィックリーグに強い関心があった。木塚はそのころ、充実機だった様な気がする。
今のソフトバンクの前身、南海ホークスの100万ドルの内野陣(蔭山、木塚、岡本、飯田)の遊撃手。足が速くって、守備範囲が広く、肩もめっぽう強かった。
でもでもである、彼はものすごい超美技をやっても、なんでもない事をしたかのごとく、そ知らぬ顔をしているのである。それが、カッコいいと感じるには私は未だ幼かったが、アナウンサーと解説者がそんなことを言っていたのを強烈に覚えている。

他球団のスターを引き抜くことが得意の巨人から(別所投手は南海のエースだったが、巨人に引き抜かれた)木塚も誘われたらしいが、「俺は金では動かん」といってたとか。ちょっと調べてこれを知りました。また木塚は米大リーグから誘いがかかった日本人プレーヤー第一号だったとか。行きませんでしたが。

26年前に63歳で亡くなられた。

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