”感動”という言葉が大安売りされて、何かというと”感動した”、と言う言葉を聞き、なんだか居心地が悪―イ思いをした時期があった。このごろ少し下火になっているようだ。
感動なんて心の底から揺り動かされた時に使うのじゃないかと思っていたからだ。でもこれは個人の心の中のことだから、まあそんなに気にすることもないと思う。
”責任”という言葉が簡単に使われているように思う。首相が、自分の”責任”で原発の再稼働を決めようとしている。首相は国民の負託を受けて、国の運営を行っており、その双肩には重い責任が掛っていることは確かだ。
しかし、彼が今”責任”を持って実行しようとしているのは、今後大きな問題が起これば、国を滅ぼしかねないことになるかもしれない原発の再稼働である。責任を持つと言っても、後で取り返す事が出来ることと、出来ないことがあるではないか!もし再稼働して、もしものことがあった時、彼はどんな”責任”を取るつもりなのだろうか!!
先の大戦の敗戦で、国を取り返しのつかないほど打ちのめされた状態に導いた、指導者達は、戦争犯罪者として裁きを受けた。
原発再稼働で、もしものことがあった時、彼にはどんなことが待っているのだろう?大事故が起こったとして、おそらく法に触れるということは無いだろう。しかし、大きな大きな不幸に国を導くことになる、彼どんな責任の取り方をすると覚悟して決定するのだろうか?
再稼働しない場合に国にもたらされるダメージが、再稼働して大事故が起こった場合のダメージと同じくらいであると言うのなら、話は別だ。だがそんな話は聞こえてこない。