相模原に残る歴史的な痕跡は津久井周辺が豊富だと思いますが、合併以前の相模原市内にもいくつかの歴史的遺物があります。田名の大杉公園あたりから堀之内一帯には田名氏が居館を構えていたといわれ、それは鎌倉時代のことですが、その痕跡として土塁が残っています。スライドショウでご覧ください。(いろいろ教えて下さった方に感謝します。写真は2年前に撮ったものです。)
平安期から鎌倉時代初期、八王子から北相模にかけて横山党と呼ばれる武士団が根を張っていました。この一団は小野氏の流れをくんだ人達と言われています。田名氏は横山時広の次男・広季が田名に拠って、田名二郎兵衛を名乗ったことに始まりました。
建暦三年(1213)五月の和田合戦で和田側に与して、北条勢と戦い子息時季と共に討ち死にしました。
田名小学校と田名公民館の間の道を相模川方向に少し下った左手に『でえの坂』、右手に『大杉公園』(水場)があり、この辺りから堀之内一帯が田名氏居館跡だと言われています。 大杉公園のあたりに土塁と思われる跡が残っています。
8 件のコメント :
スライドショーが綺麗に出来ましたね、
ブログに動きが出て良いですね~。
田名民家資料館の隣が大杉公園ですよね、
その辺は何度か行った事があります、
その近くにあったんですね。
菊池さん
写真がいまいちですが、とにもかくにも動き出しました。次はムービーですか。これはホネカモです。
田名には、新宿だとか四谷とか東京を思わせるような地名が沢山ありますネ。田名の大杉神社は、目印の大杉があったそうで、厚木からでも見れたそうです。珍しいスライドありがとうございました。
おがちゃん
貴ブログで田名民家資料館を見た時、ああ、あそこだあそこだと思い出しました。
あの辺には「でえの坂」とか「久所(ぐぞ)」とか面白い名前のところがありますね。
中さん
百選には歴史的に重要なもの、記録しておきたいものも入れて置いていただけると、ありがたいと思いますが、どおでしょ。
田名は昔から大山へ行く重要なところだったらしいですから、江戸の西の新宿と同じような意味の場所があったのでしょうね。
「農家が四軒のみだったため「四つの家の原」と呼ばれていたが、後に家が増えたことから四谷となった。」なんて書いてありましたが、田名もそうだったのでしょうか、この近くには他にも「四谷」はありますよね。
権兵衛さん
凄い! 凄い!! スライドショー!!!
(でえの坂) でえってデエダラボッチの
でえかな~~~?
らっこさん
夜更かし組みですね~。
2年前だったか、田名の公民館で地名に関する講義がありまして、「でえの坂」の「でえ」は「台」が訛ったもので、台は台地の意味だと仰ったと記憶しています。
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