2020年1月8日水曜日

グレタさんに叱られる

夜遅く、気づくことがあって、お仲間にメールを送った。 同氏は翌朝すぐ、返事をくれた。そのあとに「随分と遅くまで起きているのですね。」 とのコメント。思えば、現役時代から夜型人間で、リタイヤしてもいっこうに改まらない。
「昼間は爆睡して、夜になったら動き出すんだから、不経済ったらありゃしない」とサル方に叱られてます、 と返事した。それへの返事が直ぐ帰ってきた。「不経済以上に、環境保護の面からよろしくなくて、誰かさんだけでなく、グレタさんを悲しませますよ。」、 そうだ、本当!グレタさんに叱られる。チコちゃんよりはるかに威力がありそう。 エネルギーの無駄遣い。生活習慣を変えなくっちゃ!
そこでふとネットで見た、宇宙から見た夜景を思い出して、そんな写真を拾ってみた。 宇宙から見た日本の夜景だそうで、なんと罪作りな日本。何とつつましやかな北朝鮮。 この写真を見て、日本の経済的な繁栄と喜んでいていいのかな?むしろ私には滑稽に見えてきた。自戒、自戒!

2020年1月1日水曜日

賀春

今年も放言を並べて行こうと思います。
いきなり、クイズですみません。
左で取り上げた実験では、滴定実験を実体験して意味を感じてほしいと思いますが、もう一点、「みんなが言ってるから、とか有名な人が言ってるからと云うだけで、鵜呑みにしちゃいけない。」と、自分できちんと調べることの重要性を知ってほしいと思っています。
ビタミンCの濃度の大きい順は、赤パプリカ、皮ごとレモン全果、緑ピーマン、レモン果汁で、レモンの場合、皮に含まれるビタミンCがかなり多いです。

それにしても、年末年始に、ゴーンさんやってくれましたね!新聞によると、X線による荷物の点検はプライベートジェットでは義務化されてないと。これ本当かとわが目を疑いました。プライベートジェットを持っているような人は「密輸出」はやらないと信じているのかな。

2019年12月27日金曜日

大臣という地位の名称

何故「大臣」という言葉を未だに使うのだろう。 語源を尋ねれば、大昔の、大君(おおきみ)の臣下の内の大いなる者の意味で、大臣(おおおみ)から来ているのであろう。 ところで、大臣は現代で、一体だれに臣従するのであろうか? 昔であれば、天皇に対する臣下であったろうが、今は天皇は国民統合の象徴であって、君臨統治する存在ではない。
なんとか大臣という人たちの集団は内閣を構成し、公務員からなる行政組織を動かす、公務員のトップをなす。 公務員と言えば、それは公僕である。つまり国民のために働く公僕のトップなのである。
ところが、「首相は国会の決定に従って、天皇が任命する。首相以外の内閣のメンバーは首相が任命し天皇が認証する」。この辺が 「内閣総理大臣」とか「国務大臣」という呼称と相まって、どこかしら勘違いをする人がいるのではないだろうか?
本来、主権を持つ国民の臣下なのだが、そうは感じられないのではないか。使う言葉は人の意識を支配してしまいかねない。 いっそのこと、大臣という言葉を廃止してはどうか。首相、・・・相、・・・長官、で十分なのではないか。 例えば、外(務)相、外交部長官で十分に名は体を表しているではないか。

2019年12月19日木曜日

漸く一寸だけ気づいた、みずからの身の丈

やりたいことは理解できるし、望むらくは実施したいことだ。しかし共通テストという大規模試験で、業者に任せて実施して、地理的にも、採点者確保においても、受験者の誰にたいしても公平が期待できないことは明白。

着任間もない文科相は苦し紛れに思わず(だろう)、受験者に対して身の丈に応じて頑張れと、不見識なことを言ってしまった。入学試験の意味をきちんと考えていれば、そんな発言は出来ないはずだった。

誤ちを革むるに憚ること勿れ。とっとと決断すればよいのに、問題が明らかになってから1月半以上かかって、漸く問題を認めた。漸く自らの身の丈を知って、それに合わさざるを得なくなったという構図だ。受験者に身の丈発言をする前に、自らの身の丈を知るべきであった。知っていればこんな恥ずかしいことをせずに済んだはずである。個別の大学で記述式の問題や英語の聞く話す能力のテストを入れることを期待したいことである。

やく みつる氏の風刺漫画はかなり辛辣である。マイクの前の文科相に対して、大学入学共通テストで記述式問題の実施が見送りになった原因を問うている。解答は選択式で
イ. ずさん
ロ. どくぜん
ハ. せっそく
二. ばあたりてき
と解答欄はゼーンブひらがな。中身もなかなか素敵で、文科相が「わかるかな」とつぶやいている。久しぶりに痛烈な風刺漫画を見て痛快だった。身の丈が幾つかの角度から問われてますな。

2019年11月25日月曜日

日本が完勝したって?本当に情けない

GISOMIAの破棄を韓国が停止したとの報道には驚いたが、政府高官が「日本の完勝」であるとか言ったとのこと.これには本当に驚いた。何を寝ぼけたことを言ってるのだとつくづく思う。もし本気で言ってるのであるなら、木を見て森を見ずに近い発言だ。もし日本に利があったとするなら、韓国がアメリカに屈服したことにより、単に漁夫の利を得たに過ぎない。

日米と韓米に夫々同盟関係があるが、本当に対等な関係とは言えない。米国が宗主国でいわば臣従に近い関係と言って良い。今回は韓国が、極東の中国、北朝鮮、ロシアを含むパワーの関係で米国の言い分に屈し、屈服という悲哀を味わってしまった。踏んじゃいけない尻尾をふんじゃったと云う稚拙さが韓国にあったにせよ、日本は、これを対岸の火事と傍観し、奢っていいのだろうか?日米関係だって、力関係から言えば、日本は弱い。他山の石と自戒すべきところだ。

政府高官が「日本の完勝」の発言は、察するに本当のところは、日本人の一部か多くかは知らないが、内在する嫌韓意識をくすぐって、得点を稼ごうっていう魂胆だったのであろう。バカとしか言いようがない。事態はそんなことしてる時なのか?むしろ、願わくば日韓は、夫々の後ろ盾を気取る米国が中ロ北朝鮮がからむ安全保障に関して、日韓の利もちゃんと考えて行動するように、米国が勝手なことを言い出さないように、しっかり強固な関係を持って一寸でも重みを持てるようにしたほうが良いはずではないか。一寸の虫にも五分の魂を発揮し易くなろう。アメリカファーストは何もトランプに始まったことではない。トランプは自分ファーストなのであって、アメリカはもともとアメリカファーストの国だ。自国の利益を害しない限り、日韓関係に深い関心はない。

地理的にも近い2国、嫌韓意識とか、反日気運とか、克服しうる些末なことに拘泥しているのは残念なことだ。ましてや政治家が煽ったり、自分の支持基盤として迎合したりしていてはいかんともしがたい。むしろ政治家のなすべきことは両国の協力関係が如何に重要かそういった人たちを説得して然るべきである。そして、大切なことは隣国どうし仲良くできるような環境つくり、特に教育に力を入れてほしいものである。お互いがお互いをよく知ることが何よりも大切なことだから。

2019年11月1日金曜日

一部の延期を決めたたが、まだ問題点がある

業者による英語のテストの利用を延期して再考すると、文科大臣が述べた。問題点の一つは先送りされることになった。
誤ちを改むるに憚ることなかれ、良い決断だった。しかし、今度の共通試験にはまだ大きな問題がある。延期すると文科大臣が述べた話の中で、「記述式問題の導入など大学入試改革について円滑な実施に向けて万全を期す」と強調した。

今度実施されることになった共通試験の前身は大学センター試験と呼ばれたもので、マークシート方式が採用されていた。記述式の問題はなかった。記述式の問題自体の重要性は認めるが、共通試験では約50万人が受験する。与えられた課題に対して、受験生夫々が考えをまとめて文章を作るわけで、いわゆる正解の文章などあろうはずはなく、採点者は一つ一つ深く読み込んで採点しなければならない。そして50万の解答文に対して採点の一様性を確保することが求められる。どうやって、「万全を期すのか?」、これもまた基準があやふやになってしまいそうである。

記述式の力を試すのは、各大学が二次試験を実施して、その中でその大学の特色に合わせた相応しい問題を出題すればよいのではないか?何も全国共通の試験で記述式の問題を出すという、無茶なことをしなくってもよいはずである。入試問題を作るということは、そして採点をするということは、各大学にとって最も重要で、エネルギーを要することは想像に難くない。大変な事業であろう。とわ言え、各大学がその体をなす力を持つなら、それはしっかりやれる筈である。

今般のような全国共通の入試に対して大きな改革を行うのであれば、いきなり入試の場で実施するのではなく、改革の試みがうまくいくかどうかを、全国学力テストのような、直接入試にかかわらない場で試して深い検討をくわえてから結論を出すべきではないだろうか。
今回改革しようとしていることは決して否定するものではなく、理念は良いものだと思う。しかしそれを制度として実施する前に、中身の深い検討が必要だと思う。制度を「」に譬えると、「仏作って魂入れず」のことが無いように願いたい。

なお文科大臣が「身の丈・・・」発言を撤回したからといって、また今回の業者によるテストを延期する決断をしたからといって、氏の文科大臣としての資質への疑問は消えない。見守るしかないが。

2019年10月30日水曜日

共通試験 おお虚け

いま、共通テストなるものを考えて、腹を立てている。
最も大きな問題はどのように取り扱うのが正しいかという慎重な検討もないまま 民間試験の導入をしようとしていることである。

複数の民間試験から受験者が選んで受験する。受験費用が異なるうえ、試験の内容の程度 も同程度である保証は全くない。
・どの試験を選ぶかという点において、家庭の経済状況が反映されることになろう。
・基準があやふやなまま、学生の能力が平等に判断されないという大問題が生じる。
経済格差がもたらす不平等、あやふやな基準によってもたらされる不平等が、受験生個人個人を襲う。

だけど問題はこれだけだろうか?この試験、”共通”と名打つように、国公立大学を目指す学生は皆等しく受ける 事になっている。大学に入るのに一定の能力を求められる以上、試験は一つの手段であるとしても、今回提案されたような 試験の結果 を用いて選別することは、将来を継ぐ若い人たちの勉学への機会をアヤフヤな基準で決めることであり、 とても容認できることではない。拙速は避け、もっとじっくり考えて中身をよく考えて、進めるべきである。

このまま進めることは、まさに国を危うくする、国を誤ることと言わざるを得ない。ましてや、国の教育に携わる部門の責任者たる 文部科学大臣ともあろう者が、「身の丈に応じて頑張れ」とは言語道断である。昔、元首相の故池田勇人氏が蔵相時代に 「貧乏人は麦を食え」と解釈される差別的発言(本当は、「所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい。」と言った)をして物議をかもしたが、そんなレベルとは遥かに遠い、はるかに愚かな発言で、 文科大臣なのに、教育の機会均等をうたった教育基本法も理解しない、おお虚けというほかはない。 国民や受験生に謝って済む話ではない。国の未来に対して恥じるべき発言である。 未来のために潔く退くのがせめてもの救いであろう。