2014年12月5日金曜日

ベスビオ山、ポンペイ、ソレント半島

忙しい日々が続いてアップがなかなかできませんでした。イヨイヨ後半に入って、ナポリを離れポンペイ、ソレント半島そしてソレント半島の南側のアマルフィ―へと旅程が進みました。
左地図の真ん中に赤のマル印がありますが、ここがポンペイがあったところで、紀元79年のベスビオ山の大噴火によって発生した火砕流によって埋まってしまったとのこと。丁度、山頂とポンペイの距離が山頂とナポリの距離とほぼ同じなので、大噴火があったときにもし火砕流が西北西に向かって居たら、ナポリが埋まり、ポンペイが生き残ってたかもしれないような関係にあります。
ポンペイは海から見ると少し奥に入っていますが、当時は運河が傍まで作られていて商船が横づけされ、船乗り、商人たちは先ず港傍の公衆浴場でお風呂を浴び、階上の娼館で一時を過ごし町に入ったとか。娼館の壁にはいろんな形の快楽の図が描かれてあり、それは実はメニュウで、いろんな言葉の人たちがやってくるので、彼らは図を指さして・・・・・と、まことしやかに説明してました。
さて風呂を通り過ぎて、町の中に入るには立派なトンネルをくぐるようになっていて、警護が厳重だったことを思わせました。中に入ると町の構成がとてもシステマティックで、整然と作られていたことがしのばれ、驚きました。
ソレント半島の眺めは実にきれいでした。
後は動画で、バックの曲はフニクリフニクラ、さらば美しきナポリ、帰れソレントへ。
アマルフィ―についたころは疲れがピークに達していて、ホテルに着くなりばたんぎゅー。夕食まで寝てしまい。街の散策が出来ず、連れ合い殿に怒られること!。アマルフィ―のホテルは町はずれの、ほんのちょっと岬のように突き出した崖の上にありました。昔修道院だったところを改修したもので、なかなかの風情。有名人が沢山来訪したようで、沢山の人々の写真がはってありました。