2020年6月22日月曜日
2020年6月17日水曜日
新聞第一面には喜び溢れる記事を
6月14日の朝日新聞の総合3のページの「日曜に想う」に書かれた編集委員の福島申二氏の一文を面白く拝見した。
その話題の書き出しのところだけでも取り上げて見たくなった。「アメリカとは、最高裁判所の長官がこんな名言を残す国でもある。」と書き出す。その名言とは「私はいつも新聞をスポーツ面から開いて読む。そこには人間の成し遂げたことが載っている。1面は人間のしでかした失敗ばかりだ」
いやはや、確かにその日の朝日新聞の第一面のトップ記事は河井夫妻に関する国会閉会直後の検察による立件にかかわる記事であった。 そして、スポーツ面は球春じゃなくって球夏の記事の中にあって、トップ記事はオリンピック7人制ラグビー出場を目指していた福岡氏がそれを断念するという記事であった。氏がワールドカップ日本大会でアイルランドのバックス陣を振り切って、相手ゴールのど真ん中に飛び込んだトライは忘れられないシーンだが、その記事にも今まさにゴールに飛び込もうとする氏の写真が載っていた。ラグビーの代表を目指し続けても、きっと大きな成果を得ると思われるが、氏は新しい道を目指すという。氏がこれから目指す医学の道は決して容易なものではないであろう。氏の素晴らしい決断と、その思いが是非、成し遂げられんことを祈念する次第である。
さて翻って、もう一度第一面に戻ってみた。河井さんの記事の下に、待ちわびた生の響きという見出しで、京都フィルハーモニー室内合奏団が京都コンサートホールで演奏会を開いたという記事だった。定員500人の会場に100人限定とし、演奏家も管楽器を別にしてマスクをしての演奏。決して楽なことではなかったはず。聴衆は久しぶりの生の音の響きに感激したというし、楽団は練習もままならなかった筈だが、演奏会にこぎつけ実施できた、それこそ成し遂げた喜びに浸ったに違いない。しでかしちゃった記事なんかより、ずっと読んで楽しい。トップ記事にすべきじゃないかと思ったほどである。
しでかしちゃった記事を読んで、笑ったり、くさしたりするより、成し遂げられた記事を読んで共感し、称え喜び合いたい。そう云うことが普通になる、そんな社会でありたい。いつの日か、しでかしちゃった記事が隅っこに追いやられ、地味でも社会に喜びと活力を生む記事が一面を飾るようになってほしいものだと思った事だった。
願わくば記者さん!福岡氏が医学の世界でも頑張り、何かの成果を社会に報告できるようになった暁には一面トップ記事にその頑張りと成果を紹介されんことを切に願う。
その話題の書き出しのところだけでも取り上げて見たくなった。「アメリカとは、最高裁判所の長官がこんな名言を残す国でもある。」と書き出す。その名言とは「私はいつも新聞をスポーツ面から開いて読む。そこには人間の成し遂げたことが載っている。1面は人間のしでかした失敗ばかりだ」
いやはや、確かにその日の朝日新聞の第一面のトップ記事は河井夫妻に関する国会閉会直後の検察による立件にかかわる記事であった。 そして、スポーツ面は球春じゃなくって球夏の記事の中にあって、トップ記事はオリンピック7人制ラグビー出場を目指していた福岡氏がそれを断念するという記事であった。氏がワールドカップ日本大会でアイルランドのバックス陣を振り切って、相手ゴールのど真ん中に飛び込んだトライは忘れられないシーンだが、その記事にも今まさにゴールに飛び込もうとする氏の写真が載っていた。ラグビーの代表を目指し続けても、きっと大きな成果を得ると思われるが、氏は新しい道を目指すという。氏がこれから目指す医学の道は決して容易なものではないであろう。氏の素晴らしい決断と、その思いが是非、成し遂げられんことを祈念する次第である。
さて翻って、もう一度第一面に戻ってみた。河井さんの記事の下に、待ちわびた生の響きという見出しで、京都フィルハーモニー室内合奏団が京都コンサートホールで演奏会を開いたという記事だった。定員500人の会場に100人限定とし、演奏家も管楽器を別にしてマスクをしての演奏。決して楽なことではなかったはず。聴衆は久しぶりの生の音の響きに感激したというし、楽団は練習もままならなかった筈だが、演奏会にこぎつけ実施できた、それこそ成し遂げた喜びに浸ったに違いない。しでかしちゃった記事なんかより、ずっと読んで楽しい。トップ記事にすべきじゃないかと思ったほどである。
しでかしちゃった記事を読んで、笑ったり、くさしたりするより、成し遂げられた記事を読んで共感し、称え喜び合いたい。そう云うことが普通になる、そんな社会でありたい。いつの日か、しでかしちゃった記事が隅っこに追いやられ、地味でも社会に喜びと活力を生む記事が一面を飾るようになってほしいものだと思った事だった。
願わくば記者さん!福岡氏が医学の世界でも頑張り、何かの成果を社会に報告できるようになった暁には一面トップ記事にその頑張りと成果を紹介されんことを切に願う。
2020年6月5日金曜日
耐える力
コロナウィルス感染症禍における死者数が極めて少ない日本に、世界中が驚嘆しているという。
山中伸弥教授が日本人特有のなにかがあると、ファクターXと呼んでいる。遺伝子的なものなどいろんな角度から評価されるのかもしれない。
一番わかりやすいのは日本人の生活習慣、清潔感、忍耐強さ、自制心、団結する心。これも一つの側面と言えるであろう。
東日本大震災の時も世界中が称賛したことは記憶に新しい。
そのような外国からの称賛の声に、麻生副総理は、民度が違うと胸を張ったそうな。そしてそれを聞いた外国人は絶句したそうな。 その絶句とはどんな内実を含んだものだったのか傍にいなかったので、分かりようがないが・・・。
確かにそういう美徳ともいうべきことは、日本人の一人として誇らしく思う事である。でも見方を変えると、忍耐づよさ、強い自制心が 強い覚悟を感じさせない、責任感も薄いリーダーを7年強も支えてしまっていると云えないだろうか?
飛躍してしまうが、もっと怒ってもよいのではないか?日本人がおとなしい人たちとは決して思はない。 明治維新のすごいエネルギーは置くとしても、私が小学生の時、旧永田町小学校の屋上から見下ろした光景は幻ではなかった。 デモ隊が石を拾って自民党本部にバンバン投げ込み、バコンバコンに窓が壊れた。血のメーデー事件と呼ばれた。 皇居外苑で発生したデモ隊と警察部隊との衝突。騒乱状態だったという。 そして、忘れもしない、安保闘争における国会突入事件。樺美智子さんが亡くなられた。浪人をしていた私はそのデモに参加していない。 後で、言いようのない罪悪感を感じたことを忘れない。
耐える力は重要。時に怒る力も。
そのような外国からの称賛の声に、麻生副総理は、民度が違うと胸を張ったそうな。そしてそれを聞いた外国人は絶句したそうな。 その絶句とはどんな内実を含んだものだったのか傍にいなかったので、分かりようがないが・・・。
確かにそういう美徳ともいうべきことは、日本人の一人として誇らしく思う事である。でも見方を変えると、忍耐づよさ、強い自制心が 強い覚悟を感じさせない、責任感も薄いリーダーを7年強も支えてしまっていると云えないだろうか?
飛躍してしまうが、もっと怒ってもよいのではないか?日本人がおとなしい人たちとは決して思はない。 明治維新のすごいエネルギーは置くとしても、私が小学生の時、旧永田町小学校の屋上から見下ろした光景は幻ではなかった。 デモ隊が石を拾って自民党本部にバンバン投げ込み、バコンバコンに窓が壊れた。血のメーデー事件と呼ばれた。 皇居外苑で発生したデモ隊と警察部隊との衝突。騒乱状態だったという。 そして、忘れもしない、安保闘争における国会突入事件。樺美智子さんが亡くなられた。浪人をしていた私はそのデモに参加していない。 後で、言いようのない罪悪感を感じたことを忘れない。
耐える力は重要。時に怒る力も。
2020年5月26日火曜日
責任者のいない国
責任者とは、責任を負うべき人。つまり、問題が出来たときには責任を取る人。
つまりは責任者とは責任を取るためにいるようなものである。
この国に果たして、今、責任者はいるのだろうか?コロナウイルス感染症対策関係のやり取りで 政府関係者から、何度「専門家」という言葉を聞いたことか。「専門家」という言葉が 責任逃れの言葉に使われてしまっている。確かに専門家はその分野に熟知しておられる方々であろう。責任者が 自信をもって信頼する方々を招致して議論してもらって、その議論を踏まえて、責任者が自分の言葉で明確に しゃべればいいのである。「専門家」という言葉は一度言えばいいだけである。
昨日は検事総長も「専門家」に列せられた。責任者と呼ばれる人はその「専門家」の考えを披露するだけだった。
嘗て、中曽根康弘という首相がいた。最近お亡くなりになった。私は、その方の考えに必ずしもくみするとは思はなかったが、 責任者の姿として立派であった。心から尊敬申し上げている。今の「責任者」は中曽根さんの「政治家は、歴史の法廷の被告人である」 という言葉をどう聞くのだろうか。
この国に果たして、今、責任者はいるのだろうか?コロナウイルス感染症対策関係のやり取りで 政府関係者から、何度「専門家」という言葉を聞いたことか。「専門家」という言葉が 責任逃れの言葉に使われてしまっている。確かに専門家はその分野に熟知しておられる方々であろう。責任者が 自信をもって信頼する方々を招致して議論してもらって、その議論を踏まえて、責任者が自分の言葉で明確に しゃべればいいのである。「専門家」という言葉は一度言えばいいだけである。
昨日は検事総長も「専門家」に列せられた。責任者と呼ばれる人はその「専門家」の考えを披露するだけだった。
嘗て、中曽根康弘という首相がいた。最近お亡くなりになった。私は、その方の考えに必ずしもくみするとは思はなかったが、 責任者の姿として立派であった。心から尊敬申し上げている。今の「責任者」は中曽根さんの「政治家は、歴史の法廷の被告人である」 という言葉をどう聞くのだろうか。
2020年5月25日月曜日
2020年5月11日月曜日
相模原市内で見つかった罹患者数の推移; 5月11日現在
市が発表している公式発表は検査数が少ないから、実数は発表数よりずっと多いであろうと指摘されている、
確かにそうなんだろうなと思うが、日々の変化の様相の傾向は実際を反映していると言って良いと思われる。
今まで、市内在住者に限って発表数拾ったが、市内にお勤めの市外の在住の方も入れて考えるのがまっとうと思うので 全て拾って作りなおした。
4月中旬までは、下に凸の感じで増加していたので、心配であったが、4月下旬から落ち着きだしてる。でも微増は続いている。
以下には累計数だけを半ログに変換して描いてみた。
4月20日あたりからほぼゆるい増加直線になっている。もしこの調子のままだと、罹患者数は極大雑把に
の程度で漸増する。ここでxは4月20日を起点とした日数。71は4月20日の数で大した意味はなく、後ろの因子が重要。40日後の5月末には1.24倍にあるという事を意味している。71人は少なすぎるので50倍の3500人いたとすると、5月末には840人増の4340人になってしまう。それも、今のように自粛生活しての事。終息には程遠い。
連休自粛疲れで、気を緩めると、また元の木阿弥に戻ることになるかもしれない。
今まで、市内在住者に限って発表数拾ったが、市内にお勤めの市外の在住の方も入れて考えるのがまっとうと思うので 全て拾って作りなおした。

4月中旬までは、下に凸の感じで増加していたので、心配であったが、4月下旬から落ち着きだしてる。でも微増は続いている。
以下には累計数だけを半ログに変換して描いてみた。

4月20日あたりからほぼゆるい増加直線になっている。もしこの調子のままだと、罹患者数は極大雑把に
の程度で漸増する。ここでxは4月20日を起点とした日数。71は4月20日の数で大した意味はなく、後ろの因子が重要。40日後の5月末には1.24倍にあるという事を意味している。71人は少なすぎるので50倍の3500人いたとすると、5月末には840人増の4340人になってしまう。それも、今のように自粛生活しての事。終息には程遠い。
連休自粛疲れで、気を緩めると、また元の木阿弥に戻ることになるかもしれない。
2020年5月3日日曜日
緊急事態宣言発出と発令;首長の気持ちと政府の責任感。
本日、市長の声で「緊急事態宣言が発令されています。」と、街角のスピーカーから聞こえてきた。
アレッ内容は要請だったから発令は無いだろうなと思いながら、でも政治のプロが間違えるとは思へない。
何か意図在りかと思いめぐらして、そうか、内容は要請なのは百も承知で、切実感を出すために、
発令と云う言葉を選んだに違いないと思った。内容は要請でも、もっと強い調子で訴えたかったのであろう。
それはよくわかる。大たい、緊急事態だというのに、要請ってなんだ!と思ってしまうのは私だけではないだろう。
緊急事態は平時とは違う。だが、 首相が選んだのは緊急事態と言いながら平時で通用する要請だった。だからだろう発令ではなく発出と云う聞きなれない言葉を選んだ。 内容と矛盾はしていない(要請という内容と緊急事態宣言とはそぐわないが)。だけど何か変だ。国民の命を守る と言うけど、それが本気なら、もっと強い調子で言うべきではないか。彼は間違いなく、強権を発揮した場合の反発を 恐れたのであろう。本気の責任感が伝わってこない。
それは、「安倍のマスク」にも丸見えである。側近に「布製のマスク二枚を配れば、国民の不満はピタッと止まる」と 言われて採用したと聞いて、心底怒りを覚えた。金の使い方としてこれが正しいかという疑問でもない、たった二枚だからでもない、 ましてや汚れたものがあって回収したからでもない。これで国民の不満はピタッと止まると予想されたからやった、つまり これで国民の命が守れますと云う理由からではなかったのだ。 彼とその側近は、自分が強い批判にさらされることを恐れただけ.不評を買おうがどうしようが、これで国民の命を守ろうなどと言う 責任感は全くないと言って良い。全く悲惨と言うほかない。
緊急事態は平時とは違う。だが、 首相が選んだのは緊急事態と言いながら平時で通用する要請だった。だからだろう発令ではなく発出と云う聞きなれない言葉を選んだ。 内容と矛盾はしていない(要請という内容と緊急事態宣言とはそぐわないが)。だけど何か変だ。国民の命を守る と言うけど、それが本気なら、もっと強い調子で言うべきではないか。彼は間違いなく、強権を発揮した場合の反発を 恐れたのであろう。本気の責任感が伝わってこない。
それは、「安倍のマスク」にも丸見えである。側近に「布製のマスク二枚を配れば、国民の不満はピタッと止まる」と 言われて採用したと聞いて、心底怒りを覚えた。金の使い方としてこれが正しいかという疑問でもない、たった二枚だからでもない、 ましてや汚れたものがあって回収したからでもない。これで国民の不満はピタッと止まると予想されたからやった、つまり これで国民の命が守れますと云う理由からではなかったのだ。 彼とその側近は、自分が強い批判にさらされることを恐れただけ.不評を買おうがどうしようが、これで国民の命を守ろうなどと言う 責任感は全くないと言って良い。全く悲惨と言うほかない。
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