何時の時からだったろうか、商業主義が前面に出て、これはアスリートの祭典だろうかと疑いを感じ始めたのは。ロサンジェルスでオリンピックが開かれて以来だったかもしれない。
そして、メディアの浮かれ具合を見るにつけ、アスリートはまつり上げられてしまって、メディアの祭典と言っても言い過ぎでないような気がする。
会場で観戦出来ない全世界の人々のことを思えば、メディアの役割は確かに重要だろうが、過ぎたるは及ばざるがごとし!もっと控えめにできないものか。
想像してみるがいい、選手は果たして競技に集中しきれるのだろうか。報道各社から入れ代わり立ち代わり似たようなことを聞かれる。時には愚にもつかないことを平気で聞いている無神経さ!
心血を注いで、すごい努力をしてようやくオリンピックにたどり着いてみると、「オリンピックは別物」と感じてしまうこととは何なのだろうか!選手には競技だけに集中させてやりたいものだ。
参加にこぎつけるまでの血のにじむような努力を思えば、まずは「
アスリートの、アスリートによる、アスリートのための祭典」が第一義的であってほしい。参加しない我々は垣間見ることが出来れば良いのであって、国民感情とか、その他、まつわりついてくるものは第二義的であって良い。報道は必要だが、お祭り騒ぎはいらない。そしてもっと素朴な大会であって良いのではないか。
あの冷静そのものに見える高梨選手も数日前からテレビに映る表情は硬かった。競技後のインタビュー中に、高梨選手を思いやって、こらえきれなかった山田コーチの涙を見て、なおさらオリンピックの在り様を思わざるを得なかった。